2012/06/02 [NEZUNET会員特別ページ]「中世人の花会と茶会」展 展示風景


国宝「漁村夕照図」と「大内筒」をはじめとする花生
花を楽しむ花会(はなのえ)はもとより茶会、あるいは連歌の会にも登場する花生。室町時代の花生の主役は、青磁や古銅など、「唐物」と呼ばれる中国や東南アジア諸国から渡来した「うつわ」でした。南宋から元時代には、数多くの花生が我が国へもたらされ、寺院で仏前の什器として用いられました。やがて時代が移り、武家や公家たちが唐物の道具を好むようになると、青磁や古銅の「うつわ」は寺院から流出することになります。  前田育徳会に所蔵される「祭礼草紙」という絵巻の巻頭には、毎年7月7日に催された花会(はなのえ)の様子が描かれています。壁に絵を掛け、その前にはずらりと花瓶が置かれています。堆朱や堆黒の盆に置かれた青磁や古銅の花瓶に、夏の花が生けられている様子を想像してみてください。


座敷飾りの再現
道具を飾って鑑賞することが流行すると、それらを飾るための床や書院が部屋に設けられるようになります。また、「御餝記(おかざりき)」と呼ばれる飾り方のお手本、インテリアデザインの指南書が作られ、それにしたがって器物が飾られました。そうすることで、沢山の唐物を飾り、人々に見せることが出来るようになったのです。お茶をととのえる道具が、ひとの目につく「表」に置かれるようになった様子も、こうした「御餝記」に見ることができます。


「松屋肩衝」と仕覆(しふく)
茶色の釉薬が掛かった小さな壺。中国福建省、こんにちの福州市あたりの窯で焼かれたと思われる壺は、薄くて軽く、釉薬は光沢があり微妙に変化して流れます。こうした壺を、お茶に関わる人々は「唐物茶入」として大切にしました。室町時代には、形によって分類されました。「松屋肩衝茶入」、「白玉文琳茶入」、「石河丸壺(いしこまるつぼ)茶入」などは、そのほんの数例です。このうち「松屋」は、奈良の塗物師・松屋源三郎が所持していたので、その名前で呼ばれました。


井戸茶碗の名品「柴田井戸」
高麗茶碗は、朝鮮半島で焼かれ、我が国で侘茶(わびちゃ)のうつわとして大切にされてきた茶碗です。三島、刷毛目(はけめ)、粉引(こひき)などのように朝鮮半島でもよく見られる碗と、井戸、斗々屋(ととや)、雨漏(あまもり)など我が国に多く残る種類の碗があります。ここに並ぶ二碗は、「柴田」と称される青井戸茶碗と、「雨漏手」の茶碗です。共に、それぞれのタイプの茶碗の王者とされています。


特別出品の「無一物」
侘茶の大成者といわれる千利休に関わる道具も、こんにち数多く知られています。利休は、床に墨蹟を掛け、ひき木茶碗を用い、瓢箪や竹の花生を自ら作るなど、独自の茶の湯の世界を完成させました。また、陶工・長次郎に好みの茶碗を作らせたこともよく知られています。
この柔らかな姿の赤い茶碗は、長次郎がつくった利休好みの茶碗のひとつです。赤い土を手捻りで成形し、透明の釉を掛けています。この茶碗は、底が厚く作られているため見た目よりも重く、長次郎の茶碗のなかでも初期のものと考えられています。口の作りも、胴の緩やかな膨らみも、高台の小ささも、全てが穏やかさにみちた極上の茶碗が、ここにあります。今回、兵庫の頴川美術館から特別にご出品いただきました。