WEBギャラリートーク
2025/4/12

藤花図屏風の章
展覧会は、円山応挙の「藤花図屏風」の章からはじまります。最初に弟子たちの作品をご覧いただくことで、応挙の「凄さ」を実感していただきます。
右2点は、応挙の最初期の弟子である源琦(げんき)と、はじめ与謝蕪村について南画を学び、蕪村の没後、応挙に接近した呉春(ごしゅん)の作品。応挙にはじまる流派が円山派ですが、呉春の門人筋はそれとは別に四条派と呼ばれます。

(右)草花図襖
(左)花鳥図襖
- (右)山口素絢筆
(左)松村景文筆 - 日本・江戸時代
- 文化10年(1813)
- 根津美術館蔵
金砂子が華やかな2組の襖絵です。右の4面は応挙の弟子・山口素絢(そけん)の作、左は呉春の異母弟で四条派の花鳥画様式を確立した松村景文(けいぶん)の作品です。素絢が墨の輪郭線と濃厚な彩色を用いて対象をより写実的に表そうとするのに対し、景文は、輪郭線を排した、いわゆる没骨(もっこつ)描写と淡い彩色によって、情趣に富んだ画面を作り出しています。
同じく応挙にルーツを持ちながら、円山派と四条派では画風が少し異なります。

藤花図屏風
- 円山応挙筆
- 日本・江戸時代
- 安永5年(1776)
- 根津美術館蔵
そして「藤花図屏風」の登場です。
幹や枝、蔓(つる)は、輪郭線を用いず、筆ないしは刷毛の一筆で対象を表現する「付立て(つけたて)」と呼ばれる技法で表されています。濃度の異なる墨を筆に含ませることで描線に濃淡が生じ、それによって幹や枝の陰影、ひいては立体感が表現されるのです。一見、即興的に描かれたようにも見えますが、幹や枝の重なりはよく整理されており、あらかじめ構図をよく練ってから描かれたと考えられます。

藤花図屏風(部分)
- 円山応挙筆
- 日本・江戸時代
- 安永5年(1776)
- 根津美術館蔵
圧巻は、華麗極まる花の描写です。ひとつひとつの花は、白い絵具のうえに青と紫の絵具を微妙に重ねて表されています。まるでキラキラと光り輝く宝石がいくつも天から降ってくるかのようです。西洋の印象派の絵にどこか似ているようにも感じられます。決して、花弁を克明に描いているわけではありません。
応挙の「写生画」は、単なる写実とは異なるのです。

燕子花図屏風の章
続いて、尾形光琳の「燕子花図屏風」の章。今回は、琳派の祖である俵屋宗達がはじめた工房から生み出された屏風とともにご覧いただきます。

燕子花図屏風
- 尾形光琳筆
- 日本・江戸時代
- 18世紀
- 根津美術館蔵
まずは「燕子花図屏風」。金地大画面を燕子花の群生が埋め尽くしています。開花しているものだけで120輪余りに及ぶ花は、実際より花弁の幅が広く、意匠化されています。
左右隻を見比べると、右隻は株の全体を画面におさめ、それらをおおよそ水平に並べています。対して左隻では、左上から右下にかけての対角線に沿って描かれ、根元は画面下辺でトリミングされています。シンプルながら、絶妙に左右で対比された構図です。

燕子花図屏風(部分)
- 尾形光琳筆
- 日本・江戸時代
- 17世紀
- 根津美術館蔵
注目する機会の少ない落款をご覧にいれましょう。
署名は「法橋光琳」、印は「伊亮」。「法橋(ほっきょう)」とは、朝廷から画家や医者などに与えられる位(くらい)です。光琳は元禄14年(1701)、44歳の時に法橋を叙任されたのですが、署名の「光琳」という文字の独特の書風も考え合わせ、叙任後まもない時期の制作と考えられています。「伊亮(これすけ)」印の使用もこの頃から。本格的に絵を描き始めて10年も経っていないことを思うと、この圧倒的なオーラを放つ傑作の誕生は、実に謎めいたものに思われます。

桜下蹴鞠図屏風
- 日本・江戸時代
- 17世紀
- 根津美術館蔵
右隻の画面では、4本の桜の樹に囲まれ、公家や僧侶、少年ら8人が蹴鞠に興じています。一方、左隻は、垣根の外の水辺で待つ従者たちを描いています。桜の幹と人物が上下方向の運動感を生んでいる右隻と、垣根の斜線や水際の曲線で画面を大胆に分け、下辺に人物を集めた左隻。構図の対照が見事です。幾何学的ともいえる構図と、ユーモラスにして大らか、かつ優美な人物の表現とあわせ、琳派の祖・俵屋宗達の周辺で制作されたと考えられる作品です。
呉服の老舗である光琳の生家には、宗達ゆかりの品々が多くありました。そうした環境があったからこそ、光琳は早々に「燕子花図屏風」のような名品を生み出すことができたのでしょう。

夏秋渓流図屏風の章
最後は鈴木其一の「夏秋渓流図屏風」の章。この濃厚華麗な作品を、近世の個性的な水墨画が取り囲みます。

牧牛図
- 伝 木村永光筆
- 日本・桃山~江戸時代
- 16~17世紀
- 根津美術館蔵
水墨画を一点だけ、ご紹介しましょう。
牧童が牛に乗る様子を描いた作品です。筆者と伝えられる木村永光(ながみつ)は、江戸時代の京都で狩野派の伝統をつないだ京狩野の祖である狩野山楽の父。武士ながら、絵をよくしたと伝えられますが、牛の体にほどこされた墨の帯状のグラデーションや頸のあたりの淡墨線は、対象の再現とは別の表現の面白さをたたえています。
興味深いのは、其一の師・酒井抱一「絵手鑑」(静嘉堂文庫美術館)に、酷似した図が見いだされることです。抱一の右腕だった其一も、この作品を目にしたかもしれません。

夏秋渓流図屏風
- 鈴木其一筆
- 日本・江戸時代
- 19世紀
- 根津美術館蔵
渓流が流れる檜(ひのき)の林。右の画面は山百合の咲く夏、左は桜の葉が赤く染まる秋です。左の檜には茶色の葉が見え、また地面を覆う草の緑が左右隻でわずかに異なるのも、季節の演出でしょう。渓流は、一双屏風の左右端と、やはり左右の画面とも中央近くの奥に端を発し、幅広い奔流となって画面手前に流れ落ちています。
一見写実的と言ってよい画面ですが、よく見ると奇妙な描写が溢れています。

夏秋渓流図屏風(部分)
- 鈴木其一筆
- 日本・江戸時代
- 19世紀
- 根津美術館蔵
たとえば、この夏の場面。こちらをのぞき込むような百合の克明な描写に対し、熊笹(くまざさ)は極端に単純化されています。多すぎる苔は、いまも増殖を続けている錯覚を抱かせます。また、檜に真横向きに止まる一匹の蝉も、画面に奇妙な静寂感を与えるばかりです。

夏秋渓流図屏風(部分)
- 鈴木其一筆
- 日本・江戸時代
- 19世紀
- 根津美術館蔵
鮮やかな群青に、息の長い金泥線が引かれた渓流はねっとりとして、まるでアメーバのよう。しかし同時に、そこに落ちる桜紅葉をとらえる描写には、其一の研ぎ澄まされた感性が見て取れます。
重要文化財に指定される其一作品は、現在この一点だけです。
