「茶入と茶碗 ―『大正名器鑑』の世界―」WEBギャラリートーク

2021/5/30

『大正名器鑑』のすがた

『大正名器鑑』のすがた

 『大正名器鑑』は、第1編から第5編の「茶入之部」(4編と5編は上下に分冊)、第6編から第9編の「茶碗之部」ならびに索引から成ります。大正10年(1921)から昭和2年(1927)にかけて刊行された初版本は、編ごとに帙に入れられ、引き出しのある漆塗りの木箱2箱に納められます。
 まずは『大正名器鑑』の迫力あるたたずまいを、目で見て感じてください。

『大正名器鑑』と「肩衝茶入 銘 松屋」

『大正名器鑑』と
「肩衝茶入 銘 松屋」

 『大正名器鑑』第1編は、茶の湯の世界で最も格式が高いとされる「唐物肩衝茶入」から始まります。その27番目に、9ページに渡って取り上げられているのが当館所蔵の「肩衝茶入 銘 松屋」です。『大正名器鑑』には、仕覆や羽田盆、挽家など、伝来の過程でかたちづくられた豪華な付属品の写真も掲載されています。

肩衝茶入 銘 松屋

重要文化財
肩衝茶入 銘 松屋

  • 福州窯系
  • 中国・南宋~元時代
  • 13~14世紀
  • 根津美術館蔵

 古くから、茶人が見ることを冥利としたと言われるほど有名な茶入ですが、失われたと考えられていました。旧薩摩藩主の島津家を訪問した箒庵は、その現存を知って驚喜します。
 箒庵は『大正名器鑑』の「実見記」の項に、胴部の釉薬の流れを「雲の中で黄色い龍が大きく飛んでいるよう」と記し、また、丸々とした姿は「福相を備えている」と言いあらわしています。松屋肩衝を発見した時の興奮が伝わるような記述です。

信楽茶碗 銘 水の子

信楽茶碗 銘 水の子

  • 信楽
  • 日本・桃山~江戸時代
  • 17世紀
  • 根津美術館蔵

 箒庵は、江戸後期の大名茶人、松江藩藩主・松平不昧の『古今名物類聚』を指標として、『大正名器鑑』の構成を考えました。そのため、不昧の子孫である松平直亮の所蔵品から調査を始めました。大正7年5月のことでした。
 当時、松平家に所蔵されていた、数少ない信楽茶碗の代表作です。緋色に発色した土と、表面にあらわれた長石の白い粒は信楽焼の特徴。菱形の高台と裾部分の青緑色の釉薬も見どころですが、それらを見事に再現した『大正名器鑑』の色刷りの木版図版は、展示室でご覧ください。

文琳茶入 銘 白玉

重要美術品
文琳茶入 銘 白玉

  • 福州窯系
  • 中国・南宋~元時代
  • 13~14世紀
  • 根津美術館蔵

 根津嘉一郎の所蔵品の調査は、大正9年7月に、青山の根津邸(現在の美術館所在地)で実施されました。その後、所蔵品が増加したため、同11年に2回目も行われます。その結果『大正名器鑑』には根津嘉一郎蔵として14点が紹介されました。
 この茶入は、りんごのように胴部が丸く膨らんでいるため、文琳(りんごの雅称)と称されています。大正7年11月、自身の初めての茶事で使用した茶入で、嘉一郎自慢の一品であったと思われます。

鼠志野茶碗 銘 山の端

重要文化財
鼠志野茶碗 銘 山の端

  • 美濃
  • 日本・桃山~江戸時代
  • 17世紀
  • 根津美術館蔵

 やはり嘉一郎の所蔵品として掲載されるもの。歪みのある形や大胆な文様が魅力の鼠志野の茶碗です。
 「鼠志野」とは、桃山時代に美濃地方でつくられた白いやきもの「志野」のうち、黒地に白い釉薬を掛けて焼成することで鼠色を呈したものを指しますが、当時はまだ「鼠志野」という概念はなく、箒庵は「志野」として取り上げています。 当時の研究状況も、うかがわれます。

利休瀬戸茶入 銘 不聞猿

利休瀬戸茶入 銘 不聞猿

  • 瀬戸
  • 日本・江戸時代
  • 17世紀
  • 根津美術館蔵

 箒庵は、諸家の所蔵品を調査する一方、過去の名物記に掲載された名品も探しました。しかし見つからず、掲載を諦めたものも存在します。実は、そのなかに根津嘉一郎が所蔵していたものが含まれていました。
 それが、この仙台伊達家伝来の「利休瀬戸茶入 銘 不聞猿[きかざる]」です。大正5年の売立により嘉一郎の手に渡っていたことを、箒庵は知らなかったようです。

曜変天目

重要美術品
曜変天目

  • 建窯
  • 中国・南宋時代
  • 12~13世紀
  • 根津美術館蔵

 箒庵の調査は、旧大名家や実業家、寺院、博物館、茶道の家元、古美術商など、約9年間で150箇所以上にも及びます。旧加賀藩主・前田家の調査は、大正8年11月から翌9年4月にかけて行われました。
 一部が虹色に輝くことから、小堀遠州が箱書に「曜変」と記した天目ですが、現在では「油滴」に分類されるものでしょう。箒庵も「実見記」で、疑問を呈しながら、「曜変にもこのような種類があると理解した」とうまく記しています。

丸壺茶入 銘 相坂

重要文化財
丸壺茶入 銘 相坂

  • 瀬戸
  • 日本・南北朝~室町時代
  • 14~15世紀
  • 根津美術館蔵

 「丸壺茶入 銘 相坂」は、引き締まった姿と、一筋の釉薬が曲線を描くように流れる様子が見どころの瀬戸茶入です。盆、仕覆、替蓋、添巻物など豪華な付属品でも知られます。今回は、こうした付属品もできる限り展示しておりますので、お楽しみに。
 大阪の実業家・藤田家に所蔵されていましたが、その後、根津嘉一郎の有するところとなりました。

海鼠手茶入 銘 深美

海鼠手茶入 銘 深美

  • 瀬戸
  • 日本・桃山~江戸時代
  • 16~17世紀
  • 根津美術館蔵

 この茶入は、大正11年発行の『大正名器鑑』第4編では、箒庵自身の所蔵品として掲載されていますが、実は前年にはすでに売却されていました。その後、同12年に根津嘉一郎の手に渡ったのです。
 『大正名器鑑』に根津嘉一郎蔵として掲載されるのは14点ですが、現在、根津美術館には同書掲載の茶入と茶碗が計40点、所蔵されています。

雨漏茶碗

重要文化財
雨漏茶碗

  • 朝鮮・朝鮮時代
  • 16世紀
  • 根津美術館蔵

 雨漏とは、長年の使用により表面にあらわれた染みを、天井や土壁の雨漏りに見立てたもの。本作は、おおらかさと繊細さが絶妙なバランスで共存する名碗です。
 旧姫路藩主の酒井家には、松平不昧と親交の深い酒井宗雅の代に収集された名品が多数所蔵されていましたが、昭和のはじめ頃、売立や直接取引により次々と手放されます。当主の酒井忠正と懇意にしていた根津嘉一郎は、同家伝来の名品を多く手に入れることとなりました。

信楽壺 銘 破全

信楽壺 銘 破全

  • 信楽
  • 日本・江戸時代
  • 17世紀
  • 根津美術館蔵

 本展覧会では、箒庵と嘉一郎の親密な関係にもスポットをあてます。
 これは、ふたりの関係を物語るエピソードをもつ壺です。大正11年の歳暮茶事で花入として使われたのですが、初日の客であった箒庵は、この壺が完全無欠で面白味がないと評し、打ち欠くことを勧めたのです。嘉一郎は、なんとその意見に従い、すぐに割らせ(大破しましたが現在は復元。割れた痕跡が見えます)、翌日の客に大絶賛を受けることになったのです。

伊賀耳付花入 銘 寿老人

伊賀耳付花入 銘 寿老人

  • 伊賀
  • 日本・桃山~江戸時代
  • 17世紀
  • 根津美術館蔵

 『大正名器鑑』は、刊行当初より高い評価をもって迎えられました。昭和3年10月、箒庵は関係者を招いて完成告成会を催しますが、同4年4月には、今度は関係者が箒庵を招き、その慰労の会が催されます。茶人たちが多く参加したこれらの会には、数々の名品が持ち寄られました。
 慰労会で最も注目を集めたのが、伊賀花入5点の陳列でした。嘉一郎を含む5人が持ち寄った花入は、5人の盗賊を主人公にした歌舞伎「白浪五人男」になぞらえて、「東五人男」と称されました。

「大津馬図」と「茶杓 銘 大津」

「大津馬図」と
「茶杓 銘 大津」

 箒庵は慰労会を記念し、関係者30人に自作の茶杓を贈ることを思い付きます。銘は、各自が所蔵している茶入・茶碗のうち、『大正名器鑑』に掲載される名品の銘を転用しました。
 掲載品を多数所蔵していた嘉一郎へ贈る茶杓の銘に悩んだ箒庵は、掲載品ではなく「大津馬図」という絵画を選びました。そこには実は、長年この作品を秘蔵していた嘉一郎に、早く披露すべしという催促の意味が込められていました。そして嘉一郎はこの年、昭和4年10月に、自身の茶事で用いることになるのです。