2018/2
/21 [NEZUNET会員特別ページ]「光琳と乾山」WEBギャラリートーク


国宝 燕子花図屏風 尾形光琳筆 根津美術館蔵
 画家としてのスタートが遅かった光琳が40歳代なかばに到達した最初の芸術的頂点。左右隻の構図の対照やモチーフのリズミカルな配置など一見、意匠性が際立ちますが、花を描くたっぷりとした群青や、葉を表すシャープな筆使いによる緑青が、絵画としての厚みや勢いを加え、ひいては対象に生気を与えています。


重要美術品 秋草図屏風 伝 尾形光琳筆 サントリー美術館蔵
 燕子花図屏風よりさらに早い、光琳初期の草花図のおもかげを伝える作品です。秋の草花が群れを作り、素地の大画面に展開しています。当時、宮廷でも愛された宗達派の画家・喜多川相説の瀟酒な画風の影響が認められます。光琳は最初、東福門院などを顧客とする高級呉服商が生家であったことなどを足がかりに、公家社会に画家としてデビューしたのです。


重要文化財 太公望図屏風 尾形光琳筆 京都国立博物館蔵
 人物を描いた屏風もご覧いただきましょう。隠棲して釣りをする太公望。やがて周の文王が訪れて軍師に抜擢されることになります。膝に肘をおいて頬杖をつくポーズは、仙人を描いた中国製の版本挿絵に基づくもの。一方、懸崖の大きな円弧が太公望の臍のあたりに収斂するのをはじめ、衣の襟や水際などいくつもの曲線が画面に渦巻くのは、光琳ならではの幾何学的な構図法です。


重要美術品 鵜舟図 尾形光琳筆 静嘉堂文庫美術館蔵
 華やかな着色画のイメージが強い光琳ですが、水墨画にも勝れた作品を数多く残しています。「燕子花図屏風」と同じ頃、やはり比較的早い時期の作品です。宗達に学んだ柔軟な水墨に藍色が加えられ、瀟酒な画面に仕上がっています。画中に和歌も書かれており、光琳が画業の初期に親しく交わった宮廷の趣味を反映しているようです。謡曲『鵜飼』に取材したと考えられますが、事実、光琳は能の愛好者で、自ら舞うこともありました。


寿老人図 尾形光琳筆 個人蔵
 光琳は47歳から足掛け6年、江戸に拠点をおきました。その間、雪舟をはじめとする漢画系の水墨画をよく目にしたようです。以降、光琳の水墨画こは、肥痩を強調したより大胆な筆墨が顕著に表れるようになります。こちらは新発見の水墨画。闊達な筆使いで、大笑いする寿老人がユーモラスに描きだされています。


銹絵寿老人図角皿 尾形乾山作・尾形光琳画 MOA美術館蔵
 乾山は、そんな光琳の魅力的な水墨画を、すでに製品化していた角皿の見込みに銹絵具(輟絵具)で再現してもらうことにしました。水墨画と同じ寿老人を描いています。一方、左上の漢詩は乾山の筆。絵と書が響き合う光琳絵付けの乾山作の角皿を、本展覧会ではまず、光琳による水墨画の流れのなかにおいて見てゆきます。


重要文化財 銹絵寒山拾得図角皿 尾形乾山作・尾形光琳画 京都国立博物館蔵
 寒山と拾得は、中国・唐時代の伝説的な僧侶。洞窟で詩作にふけった寒山に、寺で掃除や賄いをした拾得は食事を与えたと伝えられます。この作品で、寒山には光琳、拾得には乾山のイメージが重ねられているようです。寿老人を描いた角皿よりもさらに粗放な筆致は、後ほどご紹介する乾山の描く素人風の水墨と通じています。


拾得図 尾形乾山筆 個人蔵
 乾山は、70歳を前に江戸に下りました。晩年の乾山の芸術は、むしろ書画作品に集中します。光琳との合作角皿の一枚と同じ拾得を描いています。後ろ向きの体の右側が画面の外に出ていることで、歩み去ってゆくような印象と、そこはかとない余情が漂います。いかにも稚拙な筆使いですが、なんともいえない魅力があります。


兼好法師図 尾形乾山筆 梅澤記念館蔵
 兼好法師が粗末な庵で読書しています。筆使いはいかにも素人風ですが、遁世者の精神をダイレクトに表すような描写です。兼好作の画中の和歌は、隠棲したつもりの場所が依然、憂き世であることを詠むもの。江戸生活に対する乾山自身の不本意な思いも投影されているかもしれません。乾山の絵画はしばしば、自らの境遇や内面が反映しているように感じられます。


重要文化財 八橋図 尾形乾山筆 文化庁蔵 【4月14日〜27日のみ展示】
 日本最古の歌物語である伊勢物語の一場面に取材した作品。橋と燕子花だけで物語の内容を暗示していますが、光琳の「燕子花図屏風」は、そこからさらに橋も省いたものと見なせます。一方、本作品では絵の余白を埋め尽くすように物語の一節が書きこまれています。書と画が渾然一体となった魅力的な作品です。


色絵定家詠十二ヶ月和歌花鳥図角皿 尾形乾山作 MOA美術館蔵
 そして、乾山のやきものをご覧いただきます。色紙を思わせる四角い角皿は、乾山が創始したようです。この作品では、見込みに藤原定家が十二ヶ月の花ないしは木を詠んだ12首と同じく鳥を詠んだ12首をもとに絵を描き、底裏には乾山自ら各月の2首の和歌を書いています。絵の図様は、幕府御用絵師・狩野探幽による手本に基づき、その画技は本格的です。文芸性と絵画性に富んだ画期的なやきものです。


銹絵山水図角皿 尾形乾山作 根津美術館蔵
 光琳との合作角皿が登場する前の銹絵角皿です。右端に山を重ね、船頭が棹差す2艘の小舟が水面を行く情景を描いています。水墨の濃淡を銹絵で見事に再現した絵付けと乾山の書になる賛詩が調和して、清雅な世界が表されています。こうした初期の銹絵角皿は、室町時代の「詩画軸」に譬えられます。


銹絵蘭図角皿 尾形乾山作・渡辺始興画賛 根津美術館蔵
 乾山は、この角皿の裏に「表の一連は私が疲れている時に、渡辺素信という画師に書いてもらった」と記しています。これまで渡辺素信なる画家が手がけたのは、もっぱら蘭の絵と考えられてきましたが、「一連」とはその傍らの詩のことのようです。そしてこの詩の書は、渡辺始興という画家の書とそっくりです。光琳の弟子と伝えられる始興が、乾山焼の絵付けに携わったことが明らかになりました。


色絵桔梗図盃台 尾形乾山作 MIHO MUSEUM蔵
 盃台は、懐石において客に酒を勧める盃を載せる台。円筒形の高台についた円板には、ところどころに透かしを入れながら、桔梗の花がいくつも連なっています。高度な技術によって立体とデザインを癒合した、乾山焼ならではの作品です。


重要文化財 銹絵染付金彩薄文蓋物 尾形乾山作 サントリー美術館蔵
 一見素朴な、しかし類例の少ない、大きな蓋付きのうつわです。蓋の表から身の側面にかけて銹絵と白土で大胆に薄の葉と穂を描き、金彩を加えています。現代美術を思わせるような斬新な意匠で、それまでの日本美術における優美な薄の表現とは一線を画しています。一方、身の内面には染織由来の菱十字文が染付で描かれる。蓋を開けた時の意外性が企図されているのです。


銹絵染付絵替筒向付 尾形乾山作 湯木美術館蔵
 白化粧を刷毛引きした上から染付をさらに刷毛引きし、銹絵でモチーフを描いています。絵付けはなんと、長細い筒向付の内側にも及びます。本作品を蒐集した料亭・吉兆の創業者である湯木貞一氏は「ただならぬ優品」と評しました。デザインはのルーツは、光悦謡本の雲母摺りなど、宗達周辺に求められます。上の蓋物の内面の模様も、光悦謡本からとられたのでした。